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Myy's Life

観た・行った・読んだものなどの備忘録。

『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド

 

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 

年末年始のお供としてようやく読了。

少しずつ読んだせいでいまいち世界観に入り込めないままに読み終わってしまったけど、パーティシーンの豪華絢爛かつ空虚な描写と、ラストに向けての疾走感、そして最後の主人公の独白がとても印象的でした。
あらすじ等は巷に溢れているので割愛するとして、個人的には、アメリカの西部と東部の描写が興味深かったです。この物語に登場する人物はみな西部の出身で、それぞれ様々な過程を経て現在は東部のロングアイランドに暮らしているわけなのですが、主人公が、以下のように語る部分があります。(長いですが以下引用)
 
・・・結局のところ、僕がここで語ってきたのは西部の物語であったのだと、今では考えている。トムもギャツビーもデイジーも、ジョーダンも僕も、全員が西部の出身者である。たぶん我々はそれぞれに、どこかしら東部の生活にうまく溶け込めない部分を抱え込んでいたのだろう。
 僕が東部に文字通り夢中になっていたときもあった。オハイオ川以西の、とりとめもないかたちに膨張した退屈きわまりない町々(そこでは子供とまったくの老人だけを例外として、すべての住民に対して窮屈な監視の目が注がれている)に比べて、東部はなんとまともなところなんだろうと素直に感服した時期もあった。しかしそんなときでさえ、その土地には何かしら歪められたものがあるように思えたものだ。・・・

 

こうした感覚は、地方から東京に出てきた多くの人間にもあてはまるように思えます。何でも叶うように思えた大都会東京。でも実際には肝心なものは手に入らず、自分の生の実感が歪められていく。ギャツビーを始めとしてこの物語の登場人物の多くが抱えている焦燥感は、今を生きる我々にも共通すると感じます(彼らはだいぶぶっとんでるけど)。
 
とはいえ、常に自らの置かれた関係性への問い直しが生じるのが近代社会だとするならば、その肝心なもの(ギャツビーでいえばデイジーの心)が手に入ったところで、すべてが円満に解決するかというとそんなことはなく、また新たな欲望が生まれ続けるのでしょう。
そうした欲望の矛先を何に向けるかで、生きやすさは変わってくるのだろうか。
 
村上春樹翻訳で読んだのですが、現代的すぎていて逆に20世紀初頭のアメリカの物語としてはしっくりこない部分もあったかもしれない。今度は別の訳でも読んでみたいです。