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Myy's Life

観た・行った・読んだものなどの備忘録。

朝やりたいこと。

朝活。なんてハイコンシャスな響き。
でも、最近の怠惰な自分を振り返るに、早起きして何か有意義なことをするというのは生活において必要であると感じるのです。そして夜は早く寝る。すてきではないですか。夜にだらだら起きてるから翌日もしんどいという負のスパイラルを断ち切りたい。

普段家を出るのは8時15分頃。身支度に要するのは30分ほど(朝食抜き)。だとすれば、7時45分までは自由時間として使えるのである。7時に起きれば45分、6時半に起きれば75分。6時に起きればなんと105分もありますね。

朝の時間にやってみたいことは以下の4つ。

①ウォーキング
②英語の勉強
③読書
④朝食

1つ目のウォーキングは、単純に身体を動かして陽の光を浴びたいから。健康的ではないですか。所要時間は15分ほどでしょうか。
2つ目は英語の勉強。将来的に留学したいなんてだいそれたことを考えていて、そのためにちまちまと勉強を始めたいなあと思っています。所要時間は60分かな。
3つ目は読書。いろいろと読みたい本がたまっているので、時間を確保して読みたい。最低30分は必要でしょうか。
最後は朝食。いつも会社のデスクでもそもそと菓子パンをつめこむ生活なので、きちんと自宅でおちついて食べたい。可能ならば新聞をよみながら。新聞を読むとなると、準備片付けも含めて40分はほしいかな。

 さて、欲望のままに書き出してはみたものの、これらをすべて実現するには1日145分(=約2時間半)は必要ということになりますね。さきほどの出社時間から考えると、7時45分の2時間半前だから、5時15分ということに!う〜ん、さすがに厳しいか。

6時に起きるとすると、使える時間は105分。ここから逆算してやれることを考えてみますと、読書を夜に回して、それぞれの時間を短くするとちょうどよい感じですかね。

6:00 起床
6:10 ウォーキング(10min)途中のコンビニで新聞を買う
6:20 帰宅
6:25 英語勉強(50min)
7:15 朝食(30min)
7:45 身支度
8:15 出発!

あら、すてきではないですか。うん、6時起床ならなんとかなるのでは。
ちなみに、新聞は紙で読みたい派なのですが、購読してしまうと読む時間がなかったときも問答無用でたまっていくことと、夕刊までついてきてしまうのがちょっと。。ということで、まずはコンビニで試し買いをしてみたいと思っています。

7時間は寝たいので、この生活をするには夜23時には就寝しなければならないというのは若干ハードルが高い気もしますが、じゃあ夜何やってんだと言われると半分以上はだらだらしているので、やろうと思えばできる。きっと。

さらに欲をいえば、夜は22時には寝る準備を終えて読書や振り返りの時間にあてたい。

遅れてきた4月病といってしまえばそれまでですが、3日坊主にならないよう(さらには書いただけで満足しないよう)早速今日から実践してみたいと思います。そして、毎日こちらに報告します。

続くといいなあ。続けるのだ。

日々の記録

一週間ってあっというま。特に今週は月曜が休みだったからかな。

火曜日はなんといってもカルテット。逃げ恥・カルテットと火曜10時ドラマにどっぷりとはまっていたので、最終回を迎えてしまってさみしい限り。とってもすてきな時間をありがとうございました。「無駄に見えるものでもほんとうの意味での無駄ではない」。つきつめると文化とはそういうものなのだと思います。来週からの火曜日をどう過ごせばよいのだろうか。とりあえずカルテットDVDほしい。

水・木・金はあわただしくすぎてゆき、土曜日は再びフルート。自主練してもなかなかカンが戻ってこない。圧倒的な呼吸量の不足。ロングトーンで酸欠になるなんて中学生以来だ。腹式呼吸の練習なら平日でもできるから、こつこつやろう。

日曜日は美術館めぐりの日。松屋銀座のリカちゃん展、東大の赤門展、世田谷美術館花森安治展と脈絡のないラインナップ。

www.matsuya.com

リカちゃん展では、50周年を記念して過去から現在までのリカちゃんがずらりと大集合しておりました。初代から4代目までいるそうな。初代リカちゃんのファッショナブルさにびっくり。常に時代の最先端を意識していることがよくわかりました。流行を知りたければリカちゃんをみるべし。あとは友達キャラや家族の多さにびっくりしたのと、リカちゃんには欠かせないリカちゃんハウスに、時代を追うごとにどんどんリアルなお店のセット(マックとかミスドとか)が登場してきたのもおもしろかった。もともとはアメリカのドールハウスをイメージして作られたそうだけど、こういう無駄にリアリティを追い求めていってしまうのは実に日本らしいと思いました。

赤門展は、本郷の総合博物館でやっていました。

赤門――溶姫御殿から東京大学へ 東京大学総合研究博物館

最近リニューアルしたそうで、常設展もがらりと変わっていて驚き。考古学から文化人類学、生物学など、実に幅広いコレクションが展示されていて非常に興味深かったです。これぞ「博物館」といった印象。サメの脳とササン朝の彫刻が同じケースに展示されていたり、大きなウシの剥製の次に、大学構内から出土した加賀藩屋敷の遺物があったりするんですよ。知的好奇心くすぐられまくりな空間でした。

最後に花森安治展。

www.setagayaartmuseum.or.jp

彼の一生をたどった展示になっていたのですが、帝大の新聞部で活動していたことや、戦争中に大政翼賛会の広報として働いていたことなど全く知らなかったため驚きました。特に戦時中のことは、彼自身は一切語らなかったそうです。でも、そういった過去があったからこそ、「暮しの手帖」においてあそこまで日々の暮らしを大切にすることを重視し、おかしいと感じることには徹底的に異をとなえる姿勢をつらぬいていたのだろうと納得できました。改めて、彼の著作を読んでみたいと思います。(それにしても世田谷美術館は遠かった。。バス停が少しわかりにくいので、事前に調べておくべきでした。寒い雨の下さまよってしまった)

日々の記録(3/18~20)

ここ最近、あるブログのファンになってしまい、自分でも書いてみたくなったので日々の記録など残してみたいと思います。大した日々ではないけれど。

 

手始めにこの3連休につきまして。

土曜日は、最近始めたフルートのレッスン日。今回はレッスン前に1時間自主練して望んだのだけれども、いざ先生の前で吹くといまいち。音がかすかすでスタミナも続かない。高校生の頃は特に悩まず吹けてたんだけどなあ。あれからもはや◯年も経過してるから仕方ないか。こつこつやるしかないのです。しかし、社会人が楽器を練習しようとすると、お金との戦いになるのもまた事実。カラオケは落ち着かないし、練習室は高いし。お金持ちになって家に防音室を作りたいものです。夜は夫と近所の居酒屋へ。麦焼酎の「こふくろう」、ラベルのかわいさに惹かれて飲んでみた。飲みやすかったです。帰宅後は「精霊の守り人」を観た。このドラマを見たあと、CMで綾瀬はるかを見ると違和感がすさまじい。女優さんってすごいという小学生的感想を抱いてしまいます。

日曜日は話題の「LA LA LAND」を観に有楽町へ。

gaga.ne.jp

最初の高速道路のシーンは鳥肌ものでした。パーティのダンスシーンもかっこよかった。大人数が歌い踊ることのもつパワーに、ただただ圧倒される。

(少しネタバレになりますが)ストーリーもわたしは好きでした。夢を追う追わないに限らず、ささいなことですれちがって同じ道を進んでいくことができなくなるということは多くの人にあることで、でもそれをただ後悔するのではなく、人生の糧としていくことが大切なのだと感じました。人生は不可逆的なもので、やり直そうと思っても全く同じ場所に戻ることはできない。だからこそ美しいのでしょう。ラストシーンでは、森山良子さんの「30年を2時間半で・・・」を思い出しました。


森山良子「30年を2時間半で・・・」(from 『Concert Tour2007-2008』)

 

夜は大学時代の友人の結婚式2次会へ。まぶしかった。幸せそうで何より。

 

月曜日はだらだら昼まで寝てしまいました。ミュージカル熱が冷めやらず、洗濯などしながら「サウンド・オブ・ミュージック」を観る。子どものときに観たきりで、あんまりよくストーリーを覚えていなかった。大佐の婚約者エルザっていたのね。往年の映画女優感がありすぎてくぎづけ。あとは、長女のリーズルが大人っぽすぎて、下の子たちと一緒に無邪気に遊ぶのは若干無理があるのではと感じてしまった。とはいえ、やっぱり幸せな気持ちになれる映画でした。大佐のエーデルワイスの色っぽさよ。

 

 夜は大学時代の友人と久々に食事へ。それぞれ着実に人生を進んでいるけど、根本的なところはみんな変わっていなくて、楽しい時間をすごせました。ただ、おとといからお酒を飲みすぎている気はする。今日はヒューガルデンのおいしさに目覚めてしまった。

 

こうやって書いてみると、だらだら過ごしたような日々でも意外といろいろあるものですね。記録って大事。

『I am Sam』

 

I am Sam アイ・アム・サム [DVD]

I am Sam アイ・アム・サム [DVD]

 

 

知的障害をもった父親サムが、養育能力がないとみなされて娘ルーシーから引き離されるものの、さまざまな人の協力を得ながら再び娘を取り戻そうと奮闘するというお話。

とてもとても良かったです。特に一番ラスト、ルーシーのサッカーの試合にみんなが応援に来るシーン、ルーシーを支える「社会的な」親が複数人いることで、この幸せが実現しているんだなとしみじみ感じられました。生物学的な親は一組しかいなくても(さいきんはそれすらも揺らいでいるわけだけど)、社会的な親は何人も存在しうるわけで、そうしたあり方が認められてこそ本当の子育ての社会化がなされるといえるのでしょう。もちろん、そうなった場合に誰がもっともその子に責任を負うのかという問題はあるけれど。

あと、親から引き離される理由が虐待などの場合はぜんぜん変わってきてしまうのかもしれない。里親の元にルーシーが行った時、サムはたびたび会いに行って、ついには近所に引っ越してきてしまうわけだけど、これを素直に美談としてしまっていいかは少しひっかかりました。おそらくサムのように子どもから絶大な信頼を得ながらも引き離されるケースというのは例外的で、多くは虐待やネグレクトなど、子どもに親が害を与えてしまうケースなのだと思います。そうしたとき、その実親も社会的な親として今後関わることを認めるのかどうかという線引きは非常に難しい。虐待といったところまで追い詰められた親もある意味周りの支援に飢えている場合も多く、その意味ではサムと共通の状況だといえるから。

画一的な線引きを行うのではなく、多くの人が親として関わりながら、その子にとっていちばんいい状態が何なのかを見極めていく以外にないのだろうなあ。

なにはともあれ、ルーシー役のダコタ・ファニングがすごすぎて。あの年齢であれだけかわいくて、 なおかつ賢さとアンニュイさを醸し出せるってなんなんだ。

『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド

 

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 

年末年始のお供としてようやく読了。

少しずつ読んだせいでいまいち世界観に入り込めないままに読み終わってしまったけど、パーティシーンの豪華絢爛かつ空虚な描写と、ラストに向けての疾走感、そして最後の主人公の独白がとても印象的でした。
あらすじ等は巷に溢れているので割愛するとして、個人的には、アメリカの西部と東部の描写が興味深かったです。この物語に登場する人物はみな西部の出身で、それぞれ様々な過程を経て現在は東部のロングアイランドに暮らしているわけなのですが、主人公が、以下のように語る部分があります。(長いですが以下引用)
 
・・・結局のところ、僕がここで語ってきたのは西部の物語であったのだと、今では考えている。トムもギャツビーもデイジーも、ジョーダンも僕も、全員が西部の出身者である。たぶん我々はそれぞれに、どこかしら東部の生活にうまく溶け込めない部分を抱え込んでいたのだろう。
 僕が東部に文字通り夢中になっていたときもあった。オハイオ川以西の、とりとめもないかたちに膨張した退屈きわまりない町々(そこでは子供とまったくの老人だけを例外として、すべての住民に対して窮屈な監視の目が注がれている)に比べて、東部はなんとまともなところなんだろうと素直に感服した時期もあった。しかしそんなときでさえ、その土地には何かしら歪められたものがあるように思えたものだ。・・・

 

こうした感覚は、地方から東京に出てきた多くの人間にもあてはまるように思えます。何でも叶うように思えた大都会東京。でも実際には肝心なものは手に入らず、自分の生の実感が歪められていく。ギャツビーを始めとしてこの物語の登場人物の多くが抱えている焦燥感は、今を生きる我々にも共通すると感じます(彼らはだいぶぶっとんでるけど)。
 
とはいえ、常に自らの置かれた関係性への問い直しが生じるのが近代社会だとするならば、その肝心なもの(ギャツビーでいえばデイジーの心)が手に入ったところで、すべてが円満に解決するかというとそんなことはなく、また新たな欲望が生まれ続けるのでしょう。
そうした欲望の矛先を何に向けるかで、生きやすさは変わってくるのだろうか。
 
村上春樹翻訳で読んだのですが、現代的すぎていて逆に20世紀初頭のアメリカの物語としてはしっくりこない部分もあったかもしれない。今度は別の訳でも読んでみたいです。

すみだ北斎美術館

hokusai-museum.jp

 

2016年11月に開館したばかりのきれいな美術館。小さいながらも盛り沢山な展示の美術館で、タブレットなどを活用した解説パネルが充実していました。ただ、ラスコー展でも感じたんだけど、こうしたタブレット系の解説って、操作してる本人しか見えないんですよね。そこそこ混雑している美術館だと、ゆっくり順番待ちをしなければ解説が一切読めないということにもなりかねず。もちろん、実際に自分で操作すると同時にいろんな解説が読めたりして楽しいんだけども。塩梅が難しいと思いました。

さて、葛飾北斎ですが、90年の生涯のうちなんと93回も引っ越しをしたとのこと。そのうちのほとんどは墨田区に住んでいたとのことで、こうした美術館が墨田区に設けられることとなったそうです。引っ越しといっても、この時代の人はろくろく家具も持っていなかったわけで、ひょいっと気軽に引っ越せたのでしょうね。ミニマリストからすると憧れの存在ではないでしょうか。ちょっと違うか。

展示されていたのは、「神奈川沖浪裏」などの超超有名作品から、若い頃の習作、晩年の肉筆画までと幅広く、「浮世絵の北斎」というイメージを覆されました。特に肉筆画のうち、「貴人と官女図」という作品は、源氏物語の一場面のような優美な場面を描いているのですが、とにかくその緻密さにびっくり。これを描いたのが北斎80歳のときとのことで、さらにびっくり。本当に生涯を絵に捧げた人だったのだということが感じられました。

あと、焼失してしまった北斎の絵を復元しようとするプロジェクトもすごかった。白黒写真から色を特定していく、ということが可能なんですね。驚きでした。

ラスコー展@国立科学博物館

特別展「世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜」

逃げ恥にも登場したラスコー展、行ってまいりました。 

思ったよりも規模が小さかった印象ですが、洞窟の再現は圧巻でした。
謎の鳥人間、実際に見ると本当に謎。
どうして動物はこんなにリアルに描けるのに、人間は簡略化されているのか。
壁画だけでなく、小物でも人間を描いているらしきものがいくつかあったのですが、それもどう見ても馬顔。クロマニヨン人にとっての自分たち人間というものは、描くに値しないものだったのでしょうか。芸術はあくまで神としての動物を対象として捧げられるもので、人間は精緻に描いてはいけないという規範があったのかも。そう考えてしまうくらい、人間に対する扱いが低いなと感じました。
 
芸術の始まりは、人間を超える自然に対する畏れや祈りなのだ、ということをしみじみと感じる展覧会でした。そして、わたしはとてもそうしたものに惹かれる。だからこそ古代の美術や遺跡が好きなんだなあ。人間が対象になったとたん、それは歴史的にはおもしろいけど、芸術としての魅力を感じるかというとそうでもなくなってしまう。人間を超えるものに対してどのような姿勢を示すかということが、芸術の魅力の本質なのかもしれません。